「これからの10年」へ思いを巡らせるインタビュー〜4期生〜
HKT48の活動10周年を記念した共同企画「HKT48×西日本新聞me 10th記念インタビュー」。「これまでの10年」を振り返り「これからの10年」へ思いを巡らせるインタビューの第3回は、2016年に加入した4期生の登場です。加入から5年がたった彼女たちは、まさにHKT48の中間世代。強烈な個性でグループに新たな風を吹かせ、今やその中核にもなりつつある彼女たちは、過去と未来を、どのような思いで見つめているのでしょうか。※松本日向はスケジュールの都合によりアンケート参加。
―2011年は何をしていましたか?
豊永「小学6年生で『マル・マル・モリ・モリ』を踊っていた頃。1期生さんのオーディションを受けました。AKB48さんの存在は知っていたけど『会いたかった』も聞いたことあるな、くらい。友達がAKB48さんを好きで『ヘビーローテーション』のミュージックビデオ(MV)を見るためにカラオケに行きたい、と誘われていました。カラオケに行ったらMVがフルで流れるから。3回くらい入れるのよ、その子が」
武田「すごい勢いやね」
豊永「それで初めて覚えたのが『ヘビロテ』だったんだけど、そうしている時に『福岡にも姉妹グループができるらしいよ!受けない?』って言って、(1期生オーディションを)受けたのが10年前」
清水「10年前は、もう(HKT48の)ファンをやっていました。AKB48さんが好きで、そこからHKT48を好きになって(宮脇)咲良さんを推していました」
―運上さんの10年前は。
運上「中学校に入学して。田舎なので全校60人弱くらいの中学校。卓球部に入って、毎日夏休みは片道30分くらい自転車をこいで通っていました。他にはなにも(笑)。田舎町なので。アイドルとかぜんぜん興味がなくて。周りはAKB48さんとかみんな好きだったんですけど、一人だけ興味なくて。結局自分がアイドルになるとは…」
小田「中学1年は、勉強を一番頑張っていました。成績も一番良くて、そこから下がっていったんですけど(笑)。茶道部に入って…わりと静かな方。そこで友達もできて、平和な日々を過ごしていました。AKB48さんは『RIVER』のころから好きだったんですけど、好きって周りに言えなくて。こっそり応援して、音楽番組も録画して。『週刊AKB』とかAKB48さんの番組を新聞のテレビ欄にマーカーを全部引いて、朝に録画する、みたいな。CDとかは買わなくて、テレビ番組とかで楽しんでいました」
―武田さんは。
豊永「小学校3年生?」
武田「小3。何をしていたかな…。AKB48さんは好きでした。お姉ちゃんが中3くらいで、学校でAKB48さんのブームど真ん中。お姉ちゃんが好きなら私も好き、みたいな子供だったので、お姉ちゃんが見るなら見る、踊っているなら踊る。よく分からないけど『AKB知っているよ』みたいな感じではいました。握手会に行く、とかはしたことなかったです。ただテレビで見る人。まだHKT48が出来ますとか、HKT48ができた、とかは知らなかった」
地頭江「『大声ダイヤモンド』くらいからAKB48さんを好きで、総選挙の順位を暗記することにはまっていました。何年の何回目は誰が何位、っていうことを覚えることにはまっていて」
武田「どこに労力を使ってんの(笑)」
地頭江「宮崎だったので、情報が格段に少なくて。番組も放送していないし、SNSも発達していなかったから。夜中に3週間遅れで『AKBINGO!』が放送されているくらいだったんです。YouTubeでMVやニュースを見ていました。HKT48ができて、花が飾ってある劇場の入り口で、ファンの方がインタビューされているニュースを見ていました。私が触れるものはYouTubeくらいしかなかったです」
宮﨑「お姉ちゃんがアイドルを好きだったから、想乃もアイドル好きで。でもちょっとした反動というか、お姉ちゃんは『ハロー!プロジェクト』系が好きだったから、想乃はAKB48さんが好き、みたいな」
豊永「違う道に走りたくなるときはあるよね」
堺「私は中学受験して、地元を離れて通ってっていうので必死だった。AKB48さんは好きだったんですけど、ちょっと離れ気味だったかもしれないです。部活で帰ってくるのも遅いし、テレビを見る余裕もなく過ごしていたから。シングルが出た、くらいの情報は追っていたけど、しっかりテレビを見ている感じではなかったです。落ち着くまでは勉強を頑張らないとって」
松本「10年前は公園で遊ぶことが大好きな小学4年生でした。AKB48さんが大好きで、家ではDVDを見たりして過ごしてました。HKT48がデビューした時にテレビのニュースで流れてきたことは今でも覚えています!」
―HKT48を知ったきっかけは。
豊永「私はオーディション。駅にある西日本シティ銀行の『新生活応援キャンペーン』のポスターで、初めてメンバーを見ました」
宮﨑「あ、めっちゃガストのCMを覚えている」
小田「うわああ、懐かしい!」
豊永「そうそう。『夏がスーッと、夏ガスト』。あとダイエー」
宮﨑「ああ!覚えてる!」
堺「初めてメンバーの顔をちゃんと見たのが、友達が持っていた総選挙の本。一人一人のプロフィルが載っているやつで。そのときは確かNMB48さんが好きでHKT48には興味はまだなかったんですけど、『かわいいから見て』って言われて。そのときは『ふーん』くらいに思っていたんですけど、たまたまテレビで『スキ!スキ!スキップ!』を踊っているのを見て、テレビで見ていた(植木)南央さんにほれるっていう」
地頭江「私、逆に記憶がないかも。何でメンバーを認識したんだろう」
武田「『桜、みんなで食べた』までは認識していない。『メロンジュース』は知っていたけど、メンバーまでは知らなかった。『さっしーがいるグループ』みたいな、本当にそういう見方です」
運上「北海道でもガストのCMやっていたんですよ。はるっぴ(兒玉遥)さんの髪形が最初センター分けだったじゃないですか。こんなアイドルの方、AKB48さんにいないなって思って、家族で話して珍しいねって検索してHKT48を知りました」
松本「田島芽瑠さんがセンターに大抜擢された時に流れていたニュースで知りました。私と歳が1歳しか変わらないのに、センターとして活躍していると知ってすごいなーと思っていました」
―HKT48を好きになったタイミングは?
運上「私はHKT48のファンというかんじではなく、応募しました。高校3年生で進路に迷っているとき、多分携帯に何かの広告みたいな感じで流れてきて」
―なぜ応募を。
運上「田舎町から抜け出したかったのと、指原莉乃さんがテレビに出ていたから。希望がある、じゃないですけど『夢があるな』みたいな気持ちだったかもしれないです」
―「HKT48になりたい」と思ったタイミングは。
武田「私は『なこみくさん(矢吹奈子と田中美久)』。『さくたべ』を見て『こんなに小さい子がいるんだ』って思いました。当時小学4年生くらいで自分が小さかったから、アイドルって『お姉さん』っていうイメージしかなくて。その中にめちゃくちゃ身長が小さい子がいて。そこからHKT48を調べ出しました。もう親近感でしかなかったです。年齢も一つしか変わらない。AKB48さんも板野友美さんが好きだったから、急にイメージを変えられたHKT48に惹かれてかれていった感じですね。そこから初めて『お姉ちゃんの好きに着いていく』じゃなくなった」
―HKT48になろうと思ったのは。
武田「めちゃめちゃフィーリングです。他のAKB48さんのオーディションを受けるつもりもなかったし、芸能活動をしたいとも思っていなかったし。HKT48だから、そのタイミングだから受ける、みたいな感じでした」
堺「私も、なりたくてHKT48に応募したわけじゃなくて。好きなHKT48に新しいメンバーが入るっていうのが嫌で」
小田「何それ(笑)」
豊永「負けず嫌いの進化形(笑)?」
堺「今考えたら意味が分からないけど、新しいメンバーが入るのは決まっていることじゃないですか。そうじゃない方に持っていきたくて。本当に自分でも意味が分からないんですけど、それを多分見ているのは嫌で」
豊永「傍観者になりたくなかったんだ」
堺「じゃあ入ろう、みたいな」
武田「3期のときは別に平気だったの?」
堺「『新しい子が入るんだ』って感じだった」
地頭江「4期は許せなかったんだ(笑)」
堺「4期は許せなかった(笑)。3期生さんが入るときはそこまで意識していなくて。そこから2年半くらいあったから、その間に好きっていう気持ちがどんどん濃くなって。で、やっぱり4期生が許せなかったんだろうなって」
―今、同期じゃなかったら…。
堺「もうアンチですよ」
豊永「最悪だ(笑)」
地頭江「でも分かる。もし自分に可能性があったとして、何もしないままで、例えば南央さんが他の子たちと仲良くしていると『あー』ってなっちゃうかも」
堺「あー…それもあったかも」
―宮﨑さんはどうして応募を?
宮﨑「お母さんが『オーディションあるらしいよ』って教えてくれて、記念に受けておこうって。受かるわけないと思っていたから、1次審査に合格しましたっていう電話が来て、意味が分からなかった。そのままポンポンって2次3次だったから、何も考えずに最終まで行っちゃった。高校も受かってどうしようって」
豊永「4月くらいだったもんね」
宮﨑「いろいろあって、最終審査まで期間が空いちゃって」
地頭江「天災の影響で延びちゃったから、もう私たちはなくなったと思っていた」
堺「話がきていないだけで、他の人は合格しているんだろうって」
地頭江「自分たちは落ちたんだろうと思っていた」
豊永「2、3カ月空いたからね」
―天災の影響は大きいですね。清水さんは?
清水「幼稚園くらいからAKB48さんがめっちゃ好きだったので、みんなは『プリキュアになりたい』とか『ケーキ屋さん』になりたいみたいな感じだったけど、自分はそのときから『アイドルになりたい』って思っていました」
堺「入りたい気持ちがないと、オーディションで『心のプラカード』で『仲間に入れて』って持って踊れないよ」
―最終オーディションの歌唱審査で「心のプラカード」を歌いながらプラカードを出した?
清水「曲の候補が3曲あったけど『プラカード』じゃなくても出そうと思っていて。会場に着いたら『プラカード』だったのでちょうど良かったんですけど」
地頭江「『仲間に入れて』っていうセリフがかわいい」
―地頭江さんはSKE48のオーディションにも参加した経験が。
地頭江「SKE48さんがそのときカラオケの『DAM』さんとコラボレートしていて。公開オーディションみたいな感じですね。最終まで残ったんですけど、中学生だったので1人暮らしもできないし、妹がいるので親が名古屋に行くこともできなかったから『申し訳ないけどあきらめてね』って言われて。そのときにママと『博多だったらいいよ』って約束をしていたんですよ。HKT48だったらママも通えるし、って。そのときは多分、人生で一番泣いた日なんですけど。自分にもファンというか、もう応援してくれている方がいたから、この方たちはせっかく自分のことを応援してくれているのに、もう自分はだめなんだと思ったら、悲しくて。幅広くいろんなアイドルが好きだったんですけど、どうしても『48』に入りたかった。ママと約束してから、本当に1年たつかたたないかくらいでHKT48の4期生オーディションが発表されたから、もう運命だと思って」
武田「小田は『HKT48のごぼてん!』(TNC)がきっかけだもんね?」
小田「『ごぼてん!』で学校にぴーちゃん(駒田京伽)となっちゃん(松岡菜摘)が来てくれて。今までテレビで見ていたメンバーが、目の前でめちゃめちゃ輝いていて『好き!』ってなって。劇場公演にも行こうって思っていたんですけど、その後さっしーさん(指原莉乃)も来てくれて。憧れから、ちょっと入ってみたいな、という気持ちになりました。4期生で入るか入らないか、ずっと考えていて。周りが大学志望、みたいな紙を出していたときに、まったく大学に興味がなかった。どうしよう、夢がないってなったけど、HKT48に導かれているような感じがしたんです。落ちたら落ちたで大学進学を頑張るし、受かったら大学に行かずに頑張ろう、っていう気持ちでオーディションに応募しました」
―2016年7月、穴井千尋さんが卒業した次の日にお披露目。当時は旧ホークスタウンモールの専用劇場も閉館し、HKT48が変わって行く時期だった。
地頭江「ちょっとだけ疎外感はありました。ホークスタウンを知らなかったりとか、『サシコ・ド・ソレイユ』に出ていなかったりとか。ドラフト2期生の方は(旧劇場を)知っていたから、みんな『懐かしかったね』ってなるじゃないですか。知っている人たちの方が断然多かったし、HKT48には入ったけど、寂しいというか」
武田「ちょっと別枠だったよね」
豊永「自分たちしかいなかったしね。研究生が同期しかいないっていうのも、たぶん…」
地頭江「(5期生までは)私たちだけだったんですよ。3期生とドラ2だったし、2期生と3期生だったし」
豊永「そんなこと考えられないくらい、最初の頃にいろいろと詰め込んでいた気がする」
地頭江「お披露目後2週間で、(鳥取と島根県で開催した)フレッシュコンサートに出ていたね」
豊永「お披露目までも、合格して1カ月だった。まだお互いにあんまりしゃべったこともないくらい」
宮﨑「時間なかったんだろうな」
豊永「それこそ合格の時期が遅れているから。合格して最初のレッスンが、さしさん(指原)が1位になった総選挙の次の日。マネジャーさんが『今年も、HKT48の指原が1位をとりました』っていうところから始まりました」
―始動する前からいろいろあった4期生だが、どんな期だと思う?
宮﨑「一番経験したことがないことをやっている期だと思う」
武田「確かに、何かと変わった期だよね。特殊」
豊永「全体で見ていても、ちょっと特殊だと思うことは多いかもしれない。それぞれの好きなことや地元とかを、仕事にできているのかなと思います。アピールするのがうまいかな」
小田「SNSとかツイッターとかインスタグラムとかもあって、趣味とか公表しやすい」
運上「魅力がそれぞれあるから、全員負けん気も強いし、これからもみんなが意識をしっかり持ってやっていたら、まだまだ上っていけるんじゃないかな」
地頭江「変な話なんですけど、今が嫌とかじゃなく、HKT48じゃなく4期生だけでグループだったらどうだったんだろうって時々想像します」
武田「それ、定期的に言うよね」
小田「めっちゃ梨央ちゃんと話していた」
地頭江「そういうことを考えるくらい、自分たちは何か可能性があるんじゃないか、と信じたいというか。言い方は難しいんですけど」
豊永「変な話、一体感はないですけど、一人一人のキャラがしっかり立っているから」
堺「かぶっていない」
―「これからの10年」を担う4期生。どんなHKT48をつくっていきたい?
豊永「こないだ咲ちゃん(宮脇咲良)が4期以降と話す機会をくれたとき『どんどん進化しつつも、今までにつくられた空気感は受け継いで欲しい』っていう話をしてくれたから、それは守っていきたい。会社が変わったり世の中の状況で、活動内容とか増えたり変わったりしているから、今は私たちがそれぞれの仕事ができているみたいに、全員がそうなればもっと活性化するのかなと思う。いい背中を見せられるように頑張ろうっていう気持ちです」
宮﨑「今までで一番、みんなが外で何かをしていることが多いなって思う。今まで、リモート演劇とかミュージカルをやっているメンバーは少なかった。もっとやりたいと思っているメンバーもたくさんいると思うし、それが一つずつかなっていって、最終的にHKT48に戻ってきて『あ、見たことある』がどんどん増えたら、HKT48のためにもなるのかなって思います」
松本「30歳や40歳になってもHKT48でアイドルを続けられるような、そんなより層の深いHKT48を作って行けたらいいんじゃないかと思います!そして福岡や日本国内だけでなく、海外の皆さんにもたくさん知ってもらえるような活動ができていればいいなと思います!」
―ファンの皆さんへ。
豊永「これからの私たちも楽しみにしてください。ありがとうございました」
宮﨑「ちょうどHKT48の半分の4期生。だからこそできることがあると思う。これからも応援してくれたらうれしいです」
堺「今までのHKTの歴史も大事にして、これからの歴史をつくっていかなきゃいけない立場っていうことを改めて自覚して、もっともっと仲間を大切にしてすてきなHKT48をつくっていけるように頑張るので、これからも応援よろしくお願いします」
地頭江「HKT48が10周年ということに対して自分たちが半分しか携わっていませんが、私が入りたいと思ったHKT48を、次は自分たちがそういう風に思ってもらえるようになれたらいいなと思うし、HKT48の良さを引き継ぎつつ、自分たちらしさも見せて行けたらいいなと思う。今まで通りだけど、新しく、10周年以降もHKT48らしく頑張っていきたいと思います。読んでくれてありがとうございました」
武田「私たちは半分ですけど、10年の歴史があるHKT48を最初から見てくださっていた方も、最近の方も、これからHKT48がもっともっと変化していく年だと思うので、今後を楽しみにしていてほしいと思いますし、メンバーみんなで、もっともっと皆さんを楽しませるように頑張りたいと思います」
小田「1期生の先輩方からずっと、これまでつくってくれたHKT48の楽しさとか、素晴らしさ、仲の良さはこれからもずっと続いていってほしいし、これから入ってくる新しいメンバーには、自分が先輩と思っていたように、4期生もそう見られるから、もっともっとちゃんと、しっかりしなきゃいけないと思うところもあるし、パフォーマンス以外でも輝けるメンバーが増えていったらなと思います」
運上「10周年は1期生の先輩方のお祝いですし、HKT48のお祝いでもあるんですけど、先輩がたくさん残ってくださっているので頼ってしまうところがまだまだある。4期生もどんどんHKT48を引っ張って行けるように。もっともっと4期生もHKT48に貢献できるように頑張って行きたいと思います」
松本「いつもHKT48や、4期生のことを応援してくださってありがとうございます‼4期生も、もう6年目です!自分はアイドル6年目ですが、みなさんにとってどんなアイドルになれていますか?いつも公演やSNSのメッセージで温かいコメントを下さったり笑顔で会いにきてくれることが、私の力の源になります。私はこれからも皆さんに笑顔や元気を与えられるように自分らしく頑張ります‼」
清水「もうみんなに言われたんですけど…。10周年も、ガンバりおちゃんで(笑)」
取材協力:西日本新聞社 クロスメディア報道部 古川泰裕記者