HKT48 10th Anniversary

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「これからの10年」へ思いを巡らせるインタビュー〜2期生〜

「これからの10年」へ思いを巡らせるインタビュー〜2期生〜

HKT48の活動10周年を記念した共同企画「HKT48×西日本新聞me 10th記念インタビュー」の第6回は、2012年に加入した2期生が9年の歩みを振り返り「これからの10年」へ思いを巡らせます。黎明(れいめい)期のHKT48に新たな風を吹かせた「超個性派集団」も、気づけば10年目に突入。豊富な経験に裏打ちされた絶大な存在感で、ときに最前線でグループを盛り上げ、ときにグループの支えとなる6人が語る過去と未来とは―。西日本新聞meでは、インタビュー全文を公開します。※取材は11月10日。

 

 

―仮合格は6月23日でした。

秋吉「社会人10年目ってすごくない?今、21歳なんですけど…」

坂口「21歳なのに社会人10年目。そうだね、不思議な出来事ですよね」

秋吉「(人生の)半分、HKT48にいる」

 

―今は非常にまとまりを感じる2期生だが、最初はむしろそれぞれのキャラクターが強かった。

坂口「個性が強かった。でも、逆にそれが良かったんじゃないかと思っていて。最初からこんなに平和だったら今みたいになれていないし、続けられてもいないから。最初けっこう厳しくしていていただいたし、みんなも本当にやばかったよね(笑)」

上野「やばかった(笑)」

神志那「『私が私が』って」

田島「『私が私が』が強かった人たちが残っているんじゃない?」

坂口「意志が強いので卒業してくっていうパターンもある。やりたいことを決めて、私はこれに行くって決まっているから、卒業していくっていう。卒業って、けっこう決断が必要じゃないですか。私たちはまだ経験していないけど…」

 

―2期生は、みんな一度決めたら変わらないイメージ。

田島「頑固ではありますよね。でも、そういう人たちが多かったからこそ良かったよね」

坂口「昇格したチームがバラバラだったことも良かった」

田島「最初はショックだったよね。2期生でチームができると思っていたから」

坂口「研究生公演自体が『みんなで絶対昇格したい!』みたいな感じでした。あのころの雰囲気って、あの時期しか感じられない」

 

―研究生公演「PARTYが始まるよ」の初日が9月30日。西日本スポーツの紙面では、メイン写真のど真ん中に上野遥さんがいた。

上野「たぶん私、それでクラスの男の子から『アイドルやってるの?』みたいな声をかけられました(笑)。でも最初は分からないじゃない?どう対応したらいいか。だから『いや、やってない』ってうそをつきました(笑)」

渕上「先輩たちがSKE48さんの『手をつなぎながら』公演だったから、私たちは何をやるんだろうって思っていて。最初は『手をつなぎながら』を練習していて、で『PARTY―』を覚え初めて、あ、そうなんだって感じになったよね」

坂口「もしかしてやるのかな、みたいな」

渕上「練習曲なのか、公演でやるのか、けっこうぼんやりした感じでした」

坂口「そうだ、『PARTY―』公演を私たちがやって、初めて『HKT48』っていう曲をいただいた瞬間だったね」

田島「それがHKT48が最初にいただいたオリジナル楽曲。だから、当時はけっこういろいろ言われましたね。1期生さんたちがいらっしゃったので、ひょこって出てきた後輩たちが、いきなりオリジナル楽曲をもらうのは…みたいな」

坂口「私たちが練習を始めたときは、『AKB48』の歌詞をめっちゃ覚えていて」

渕上「本番までそれを歌うと思っていた(笑)」

坂口「当時は、それで練習していたから(笑)」

 

―AKB48もHKT48の結成も知った上で応募した2期生だが、どんな思いで応募した?

上野「やっぱりAKB48さんへの憧れが強くて。それが地元の近い場所に姉妹グループができるってなったら、考える間もなく『HKT48』っていう気持ちはありました。近いからっていうか、地元にできるすごさ。うれしいなって」

秋吉「SKE48さんとNMB48さんがあったので、福岡にもできるんじゃないかと思っていて、やっとできたって感じでした。それで1期生を受けようと思ったら、年齢が足りなかった」

 

―神志那さんは?

神志那「遥とか優花ちゃんとかと一緒です。福岡に(HKT48が)できるっていうのを聞いて『できるの?』って思っていたら(本村)碧唯ちゃんとなっちゃん(松岡菜摘)が『ももち浜ストア』(TNCテレビ西日本)で(2期生の募集を)宣伝していてました」

 

―渕上さんも48グループが好きで入ってきた。

渕上「私は1期生のオーディションを受けようとしていたけど、結局受けませんでした。自分と同世代のなっちゃんとか、はるっぴさん(兒玉遥)を見て、自分と比べちゃう感じと言うか。すごく身近で同い年とかなのに、地元で活動しているのが、すごくいいなっていう気持ちに変わったのはありますね。だから2期生を受けたのかなって思います」

 

―スタートは平均年齢が14.2歳。坂口さんらが中心になって研究生公演を盛り上げた時期も。

坂口「ありましたね。でも、逆にそれで頑張れたっていうのがあるかもしれないです。AKB48さんの5大ドームツアーとか、『メロンジュース』の選抜が参加しているとき、その裏で公演していたから…」

 

―AKB48さんと一緒に動いたり、選抜メンバーが外仕事で動いたりしているときに、非公式ユニット「いもむChu!」(坂口、後藤泉、冨吉明日香、駒田京伽、谷真理佳)が動き出した。

坂口「そうです、そうです」

田島「『てんとうむChu!』ができてね(笑)」

坂口「『てんとうむChu!』ができて『いいなあ!』って(笑)」

田島「札幌ドームでお披露目だったよ(笑)」

坂口「私たち(いもむChu!は)本当は王道アイドルを目指す会っていうことでLINE(ライン)グループができたんですけど」

神志那「そうだったよね(笑)」

坂口「それでMCをしていたら、ネタキャラだって言われるようになって『大丈夫、ネタキャラでもいつか選抜に入れるよ』みたいな気持ちで『大丈夫選抜』みたいな感じになって」

神志那「だいじょうぶ~♬」

坂口「そうそう、選ばれなくても大丈夫、みたいな感じになって(笑)。それから『てんとうむChu!』ができて、芽瑠と美桜が入って。いいなあ、かわいいな、みたいな。『うちら芋虫だよ』とか言って『いもむChu!』でいいんじゃないかと(笑)。ちょうど『Google+(プラス)』があった時期だから」

田島「うわ、懐かしい~」

坂口「そこで『いもむChu!』でラジオみたいなことをやっていて」

 

―やっていたねえ。

坂口「ご飯を食べに行ったときに録音したんですけど、隣の席の若い女性に『何あれ』って言われて『チーン…』みたいな(笑)。そういう経験をして『頑張ろうね』っていう結束力が深まった気がするし。そこで選ばれる、選ばれないがあっても、同期を悪く言うこともないし。それが同期だなって思うので、そういう経験が良かったのかなって今は思います。そういうセルフプロデュースじゃないけど、何かをやらなきゃなって思うときはあります」

神志那「それこそ『I4U』(井上由莉耶、岩花詩乃、上野遥、宇井真白のユニット)もあったしね」

上野「確かに。自分たちでやり始めたことだけど、ユニットでイベントに出していただいたり、コンサートの寸劇でも勢力のひとつとして成り立つこともあったので。そういうことに生きていくのは素敵なことだなって思います。何かやらないと何もなかったので」

 

―1stシングルで同期の芽瑠ちゃんがセンターに選ばれたときどう思っていた?

田島「どういう気持ちだったのか知りたい!聞いたことないかも!」

坂口「いやもう、びっくりよ。まず(オーディションの翌日に)新聞に載っていた時点ですごいって思っていた。レッスンを重ねる上で、やっぱり『芽瑠がセンターなんだろうな』っていう感じはしていたよね」

神志那「うん、していた」

田島「そうだったんだ…」

 

―「めるみお」が「メロンジュース」のセンターになった瞬間を渕上さんと秋吉さんは現場で見た。

渕上「納得でした」

秋吉「初期の頃だから、同期なのにあの子がなんで…とか全くなくて、本当に『うれしい~』っていうだけでした」

渕上「『メロンジュース』で、選抜に半分くらいまで2期生が増えていたので、その前からずっと危機意識があったかもしれないです。いつでも自分は入れ替わる立場だなって。『初恋バタフライ』から『スキ!スキ!スキップ!』の間では、もう思っていました。1年目から、ずっとそういうものと戦っていたのかなって思います」

坂口「『めるみおまい』の存在は2期生の中で大きいかもね。3人が公演にいないことも…」

田島「けっこう多かったよね」

坂口「そんなこと今はあまりないじゃないですか」

渕上「5期研究生公演で何人かいない状態でやる、みたいな感じ」

田島「チームが増えたからこそだろうね。あの頃は1期生さんが、ほぼ選抜だったじゃないですか。選抜のお仕事があると、1期生さんの公演ができないから研究生公演を入れているけど、そうすると私たち(2期生の選抜組)が絶対に出られないんですよね」

坂口「でも悔しいとか思わなかった気がする」

上野「うん、思わなかった」

坂口「自分も、そういうふうに目指せる立場なんだって。これって先輩後輩、関係ないんやなって思った。自分たちにも可能性がある場所なんだって、やる気になった気がしますね」

 

―それぞれのターニングポイントについて。神志那さんは?

田島「『12秒』じゃないの?『控えめI love you!』か」

神志那「『控えめ―』もそうだね。自分の目指したい場所、みたいなものが決まったのは『ロミオとジュリエット』の舞台。『ロミオ』の主役に選ばれそうだってスタッフさんに言われて。そのとき韓国の『PRODUCE48』もあったんだけど、舞台をやれるならそっちをやりますって、ぎりぎりまで悩んで選んだのが、私的にターニングポイントだったのかな」

 

―そこからどんどん演技の経験を積んでいく。

神志那「あの…みんなでやった…」

田島「明治座と博多座?(指原莉乃座長公演)」

秋吉「あれが最初?」

神志那「あれが最初。優花ちゃんと出た舞台。あと1stアルバム『092』の特典映像の短編映画」

 

―坂口さんはどうだろう。

田島「理子がどうしてリポーターとかの仕事をしたいと思ったのか…」

坂口「『HKT48のおでかけ!』が一番強いかな。最初に私がたくさん出られた理由って、単に年齢が高かったからなんですよ。ロケに参加できるから」

田島「確かに大きかったかもね。夕方とか夜のロケもあったもんね」

坂口「そう。『ラッキー』って思っていたら、たくさん(ロケに)呼んでいただけるようになって、それを見てくれた方が握手会に来てくれるようになって嬉しかったです。でも…私は『アイドルの王者』のミュージックビデオの撮影が一生忘れられない。20人くらいいたうちの19番手くらいだったんですよ。『既読スルー』のときもけっこう端っこで『(正規メンバーに)昇格したけど端っこだ』と思っていたら『アイドルの王者』でも、端っこで。落ち込んでいたらマネジャーさんが励ましてくれて。『見てくれている人はちゃんといるよ』って言われたその日が、総選挙の速報の日でした」

田島「忘れられないわ」

坂口「みんなで速報を見たんですよ。ぴー(駒田京伽)と私がランクインしていて。私は総選挙はつらい思い出というより、ファンの人が押し上げてくれたから、それに支えられてここまで続けられたなって思うので、総選挙はターニングポイントだった気がします。高校3年生で加入したので普通に大学に行こうとしていたんですけど、両立できないっていうか、1本に絞った方が頑張れるかなって思ったので、最初に加入した時点で人生の分岐点だったというか」

田島「この10年、分岐点がいっぱいあったよね」

坂口「いっぱいありました。後輩が入ってきて、何となく自分は『そんなに前に出られるようなタイプではないな』って実感して。だったら、支えられるとかサポートする側に回ろうと。そういう姿を見て、ファンの方も好きになってくださったと思う。自分が前に出るとそれはそれでうれしいけど、みんなのために動く私を応援してくれているのかなって思うので、この中でそういう立場を築かなければいけないんだろうなって思い始めて」

 

―渕上さんのターニングポイントは。

渕上「HKT48に加入してすぐ選抜に選んでいただいたから、途中から新たに入ったメンバーが『初選抜おめでとう』って盛り上がっているのがうらやましかったです。私たちは最初(1stシングル)が初選抜だったから、『おめでとう』って言われた記憶もあまりなくて。入ってすぐだから『なんで入ったんだろう?』みたいな感じでした。知らないメンバーが入っている、みたいな感じだったから、それがつらいときもありました。祝福してもらえていないんじゃないかって。今はそうは思わないですけど、そういうときもありましたね。選抜復帰して『おめでとう』って言われることもあったんですけど、素直に喜んでいいのかなって感じもありました。分岐点か…」

 

―ラジオなどのお仕事も大きいような。

渕上「そうですね。20歳くらいのとき、ラジオを(レギュラーで)はるっぴさん(兒玉遥)とやらせていただいて。それから気づいたら5周年。番組は来年4月に10周年です。なんとなく20歳を過ぎたあたりから、いろんなメンバーと関わりをもてるようになったかなって思います。はるっぴさんが卒業されたときは『このままで大丈夫かな』っていう思いが自分の中であったので、そういう意味ではHKT48のレギュラー番組が続けられて…。みなさんのお陰なんですけど、プレッシャーもあったので、いろんなメンバーと関わりを持ちながらできたことは良かったなと思います」

田島「自分の中で一番大きかったのはアルバム『092』の特典映像で兼重(淳)監督とお仕事をさせていただいたこと。そのときにお芝居の楽しさを学んで、本格的にお芝居が好きなんだなっていうことを自覚したんですよね。また兼重さんとご縁があって映画『泣くな赤鬼』に出演させていただいたとき、堤真一さんや柳楽優弥さん、川栄李奈さんっていう方々のプロの世界に足を踏み入れて、自分の力のなさというか…。HKT48の中にいると『(お芝居が)上手だね』って言われることもあって、向いているのかなって思っていた時期もあったんです。でも、プロの方たちの中に入ったとき『なんでそんなことを思えていたんだ』って思うくらい、本当に何もできなくて、すごく悔しかったんですよ。できあがった映画を見ても『何で今この表情をしたんだろう』とか『この言葉をどういう気持ちでやっていたんだろう』とか、反省しかなくて。一番、めちゃくちゃ悔しかったんです。私は『お芝居の方向に行きたいんだな』って、しっかりと見つけられたのは、兼重監督に出会ったことがきっかけでした。それから舞台『ロミオ&ジュリエット』で堤幸彦監督にもお会いできて。お芝居との関わり方が変わったのがそこだなって思います。HKT48が福岡にできたから(2期生オーディションを)受けたけど、最終審査の時点で加入するかどうかは決めていませんでした。親は学業に専念してほしいと言っていたので、受かったとしても考えようと。100%受かると思っていなかったんですけど。翌日に新聞に出たことによって、やるっていう方向性になって。あの新聞がなかったら、私は多分いなかったと思います。新聞が出たことによって、まあ、言ってしまえば逃げられないというか、もうやるしかない(笑)。そういう状況になったのでHKT48に入って、10年もやるとは思っていなかったです」

坂口「本当にすごいよ」

田島「アイドルが最終目標じゃなくて、そのときは歌手になりたかったんですけど、入ってみたら歌がうまいメンバーなんていっぱいいる。そこで『自分は歌手じゃないな』って思い始めて、どうしよう、みたいな。目標がないことに不安があるので、何か見つけなきゃって焦っている時期があったんです。2、3年焦っているときに、秋元(康)先生にも相談に乗っていただいて『焦るなよ』って言っていただくんですけど、その度にどんどん焦っちゃうんですよ。夢を見つけたいって思っていたときに兼重監督に出会って『お芝居がしたい』と思い始めて、そこからはずっとお芝居を目標に活動をしています」

 

―秋吉さんは「メロンジュース」だろうか。

秋吉「そうですね。『メロンジュース』と『桜、みんなで食べた』で選抜に選んでいただいて。初期のころはAKB48さんの5大ドームツアーとか行かせていただいていたので、研究生公演とかにも多くは出ていなくて。だからめっちゃ中途半端。『控えめI love you!』から選抜に落ちて、中途半端に帰ってきて。帰ってきたときは他のメンバーとの距離を感じたというか。みんなはすごく仲が良くて、ちょっと寂しかった。それからは、自分の武器がないけど、どうしたらいいんだろうって落ち込んでいるときも多かった。なにか自分のできることを、武器を見つけようと思って、高校に入ってギターを始めたり、最近ピアノを始めたりして。実力だけで競う『歌唱力No.1決定戦』のイベントが始まってからは、やってみようと思って挑戦しました。思ったより歌えなかったというか、他のメンバーがすごかった。そこから自分の歌と向き合うようになったし、表現の幅が広がったというか。武器がないとずっと思っていたけど、歌を武器にしたいと思った」

坂口「なんでそんな急に歌とダンス上手になったの?成長とともに、なのかな」

秋吉「ダンスは本当にできなくて。なんか回る(ターンする)レッスンがあったんですけど、回らせてもらえなくらい(笑)」

田島「HKT48に入って好きになれたってこと?」

秋吉「できていないなっていうのが自分で分かって、毎日自主練に行っていたんですよ。そしたら、ちょっとずつうまくなっていくのが分かって。やっぱり練習したらできるようになるんだなって体感してから好きになりました。歌もダンスも、結局積み重ねみたいなところがあるから楽しいなって思う。私は届けたいって思って歌っているけど、聞いてくれた方が『感動した』とか『泣いた』とか言ってくださると、自分の仕事を全うできたなって思います」

上野「私は(九州7県ツアーの大分公演で)昇格から落ちたときですね。落ちたらやめようと思っていたので。そこからさしさん(指原莉乃)と…まあ、そのちょっと前からだったんですけど。芽瑠が選抜で一緒に仕事をしているとき、『脳内パラダイス』公演の映像を見て『この子、誰?』ってさしさんが言ってくださって、それが私だったみたいで。それから、気にかけてくれているような感じがしたんですよ。それで昇格を逃したときに交流というか、励ましていただいたし『こういうのはどう?』みたいなことも言っていただけて。じゃあまだ、もうちょっと頑張ってみようかなって思って。で、割とすぐ昇格して(笑)」

田島「早かったよね(笑)」

 

―ツアーの最終日だった。

上野「最終日でしたね。それがあってこそ…って感じです。歌とダンスはもともと好きで、初期からチームHさんの公演に出させていただいて。ファンの方にも私のパフォーマンスが好きって言ってくださる方が多いので、選抜に入れない分、自分で振り付けを作って、それで印象がついて振り付けをさせていただくことも増えたし『ダンスと言えば』というイメージもついたのかな」

田島「『Chain of love』とかドキュメンタリー映画とかも」

上野「昇格を逃してもやめなかったから、みたいなこともストーリになっているのかな。私はすごく嫌で悔しかったんですけど、それがなかったら(ドキュメンタリー)映画もなかったし、博多座さんに見つけていただいて舞台に出ることもなかったと思うので…。全部この道で良かったなって思います」

 

―今後HKT48にどう関わっていくか。

上野「ダンスっていうイメージがついてから後輩に教えることがめちゃめちゃ増えて。(グループに)残るのは後輩たちなので、少しでも、そのメンバーたちがこの先よりよくできるように。通常の公演とか練習のときも、なるべく多くのメンバーに、ちょっとずつ何か残して行けたらなって思います」

田島「私はダンスとかスキルでは教えられることは少ないけど、私しか答えられないのかなっていう相談とかも多くて。『こういうのに挑戦したいんですけど、どう伝えたらいいですか』とか『こういうのはファンの方に言った方がいいですか』とか、ライブのあおりでも『これでいいですかね』とか聞いてくれるメンバーもいる。そういうのって、私はすごくさしこちゃんに教えてもらっていたというか。さしこちゃんの姿を一番近くで見ていたし、そこですごく学んだんですよね。若いときに大人としての仕事をするっていうことは難しいと思うので、それに応えて行けたらと思います」

秋吉「私はやっぱり歌でグループで支えたい。(ゴスペラーズの)黒沢(薫)さんから学んだことも持って帰りたいし、自分ももっと歌の現場に出て、いっぱい持って帰りたい。ダンスでも苦手な子、ぜんぜんできないって思っている子でも、練習したら絶対できるんだよっていうこととか、研究の仕方とか教えていきたいなって思います」

神志那「私が残せることといったら、こういう道もあるんだよっていう…」

秋吉「お芝居とか」

神志那「お芝居もだし…」

坂口「卒業した後に?」

神志那「うん、そうだね。在籍中もだし。なかなか言葉で伝えるっていうことが難しいから、ちゃんと行動で見せられたらって思います」

坂口「私は(比較的)年齢が高くて加入した分、同じ境遇のメンバーに共感するときがあります。だからこそ外でのお仕事とか、たくさん経験させていただいた方じゃないかと思うので。その仕事に合わせて求められていることをどう発揮するか。それでどんどん外のお仕事ってつながっていくと思っています。自分の役割を分かって活動してほしいなって、すごく思いますし、グループにいると、公演に出れば公演を楽しませる、っていうので完結して時間が過ぎていくじゃないですか。でも何か自分で、『今日はMCでたくさん話そう』っていうメンバーがいたら、どんどんMCが盛り上がっていくと思うし」

田島「MCの相談は多いと思う」

坂口「そのメンバーのキャラに合った話し方とか伝え方があると思うので、そういうので個性をどんどん出してほしいな。割と今の後輩たちって、グループに入ることがゴールじゃないですけど、そういう感じなのかなって思ってしまうことがある。ここがゴールではないし『この先、自分がどうしていきたいか』。今、このグループで自分にできることはなんだろうって考えて活動してほしいなって思っています。『サンミュージック』に移籍させていただけたことも、続けていたらこういうこともできるんだって思ってもらえたらいいなと思う。でも、それはそのメンバーの個性によるじゃないですか。演技とかダンスもそうだし、それぞれが自分の目立たせたい部分を見つけて…。じゃあ、だからすぐ卒業するのかって言ったらそうじゃない。ここで頑張って継続してやることで、つながることだってあるよって思うから。ちゃんと先を考えたときに、自分に何ができるかっていうを考えるのも、一つの手じゃないかと思いますね」

渕上「同期にも言えない、マネジャーさんとにも伝えられないような、小さな悩みも聞いてあげられるような立場になれたらと思います。後輩が初めてするお仕事を『これはどういうお仕事でしたか』って聞いてくれるのはすごくうれしい。私たちはけっこう長くやってきた身として、途中で卒業していくメンバーも多かったから、そのたびに自分も卒業を考えないといけないのかなって焦る気持ちもありました。卒業していくメンバーがキラキラしているから、自分と比べてしまうというか。どっちも正解だと思うんですけど、続けることも正解なんだよっていうことは、私たちが教えてあげたい。『やめること』が一番考えなきゃいけないことっていうわけじゃないんだよっていうのは、長くいる私たちが伝えられることかなって思う。焦ったり悩んだりしている後輩たちに、向き合っていける先輩でありたいなと思います」

取材協力:西日本新聞社 クロスメディア報道部 古川泰裕記者

 

 

インタビューの全文は西日本新聞meにて公開!

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/834576/
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